shyumahaのブログ

海外でリーダーシップを発揮して働くために、私が海外勤務経験から得た体験記を記しています。

101.海外でリーダーシップを発揮して働くために

あとがき

グローバル化、リーダーシップ力こういったことが昨今のビジネスマンの重要な

要素となりつつある。表面的に捉えると、英語などの外国語を自由にあやつり、

論理的思考と、強い指導力で引っ張っていくというイメージだが、そんなに単純なものではないと私は思う。

 

事実、英語がべらべらしゃべれて、且つ論理的思考のすぐれた人が、現地人との間合いも、

背景も理解しようとせず、いきなり自論ばかりパワフルに展開して(表面的には論理的で

あるがゆえに始末が悪い)、

自己満足するが組織は動かない。その結果、その原因を自分ではなく、現地人のせいにして、

組織のメンバーはしらけている。などという光景は結構見られる。

 

もちろん、英語を中心に外国語があやつれるのは、非常に大切な要素だと思うし、

ぐいぐい引っ張るリーダーシップ力も重要だ。だがこの本当の目的は、

 

・      言語能力は、コミュニケーションが双方向でしっかり取れること(そのためには、

現状を把握し、相手の状況を理解するところから始まる)。外国語はその手段に過ぎない。

 

・      リーダーシップ力は、正しい方向を模索し、探し出し、皆を巻き込んでやる気になってもらい、

できるかぎり自発的に動いてもらうこと(そのためには、まず自分が動くことから始まる)。

つまり、自分が命令するだけというわけではない。

ということだと思う。

 

要するに、突き詰めると、格好良くやることではなく、泥にまみれながらも徹底的に現場に

入り込むことが、その根幹となる。そういう意味で、会社が大きくなればなるほど、

えらい人は、私は考える人(つまり現場に行かない人)、となりがちだが、時間が許す限り、

現場を理解しようとする気持ちや仕組みが大切になってくる。

 

そして現場を理解しながらも、現場の力学に流されすぎないで、正しい方向を模索する力が

求められる。今後、ますますグローバル化、リーダーシップ力が問われてくると思われる。

表面的な言葉の遊びにとらわれず、じっくりと地に足をつけて、本質を追求することが

求められると思う。

 

100.海外でリーダーシップを発揮して働くために

最終章:別れのとき

会社の転勤辞令はいつも突然だが、このときもその日は突然やってきた。

2012年4月本社から日本へ戻ってくるようにと連絡があった。

 

2007年にベトナムに赴任して、足掛け5年が経っていた。赴任当初はどうなるかと

思ったものだが、今はベトナムを第2の故郷と感じている自分がなんとなくおかしかった。

 

最後の2週間は、ベトナム人のお客さんとのお別れ会、社員が催してくれたお別れ会

などが続き、再びアルコール漬けとなった。ただ、このアルコール漬けは赴任当初のような

つらさはなく、むしろ心地よかった。振り返ると5年などあっという間である。

 

在任期間中の2007年~2012年はGDP成長は右肩上がりというわけではなかった

 

担当時に売上拡大できた結果は上図である。

もちろん、関係者各位のおかげであり、何よりも現地ベトナム人スタッフのおかげである。

 

日本へ帰国する日、空港には当社のホーチミンスタッフが大勢来てくれた。5年前、私の前所長のときと同じ風景である。前所長は、最後は感極まって泣いていたが、私はなぜか泣かなかった。(深夜便と昼便という違いも影響しているかもしれない)

社員は、ベトナム特有の伝統の編み笠帽子に各々寄せ書きをしてくれた。そして、たくさんの思い出に残る写真を撮ってくれた。

 

私は、彼らのおかげでなんとかこのベトナムでがんばって業務を全うすることができた。

でも、私は彼らにどれだけのものを残せてあげたのか?私は決して、完璧な上司では

なかったと思う。

 

誤った判断も多かったであろうし、現地語がわからないゆえに、まだまだ私の知らない影の

部分も多くあることであろう。

 

いずれにせよ、今後、彼らは彼らの人生を歩むことになる。私はもう彼らとは2度と会えないかもしれない。

彼らには、元気で、健康で、幸せにすごしていってほしいと心から思う。

 

空港前は、ベトナム特有の湿気と暑い空気、騒々しさが渦巻いている。この雰囲気も見納めだなと

思いつつ、彼らと最後の別れを告げ、ホーチミン タンソンニャット空港の中に入った。

 

私は日本へ戻り、彼らはまたベトナムの世界に戻っていく。私は言いようのない寂寥感におそわれつつ、

日本人に戻る努力を必死でしていた。

99.海外でリーダーシップを発揮して働くために

―コラム(社員募集、面接について)―

私は、所長として赴任したので、営業スタッフを募集して雇う際の面接も担当することとなった。

日本ではこんなことをしたことも無かったので、初めての経験であった。

 

基本は英語でのやり取りとなるが、こちらも下手であるし、候補者も下手である場合も

多いので通訳やベトナム人シニアスタッフにも同席してもらう。逆に候補者が英語ぺらぺらの

場合もあった。そんな時は、私自身が格好悪くて自己嫌悪に陥りそうになった(笑い)。

 

一番最初の面接時には、前述したハノイの所長が来てくれた。彼は、ベトナム語は当たり前の上、

英語、日本語も操る。最初の面接は10人ぐらいだったかと記憶している。

面接が終わったとき、私はいわゆる優秀と思われる順番から候補としていくと考えていた。

 

大体一番優秀と思われる人は、他の面接官も一致するものだ。(2番手、3番手は意見が

割れる場合があるが)

このときも、一番優秀と思われる人は一致した。私は当然、その優秀と思われる人を候補に上げた。

 

しかし、ハノイの所長からあることを教えられる。ハノイ所長曰く『一番優秀な人は、大体英語を

うまく操り、しゃべり方も論理的で理路整然としている。だからこそ優秀に見える。

実際に優秀な可能性も高い。しかし、そういう人は、ベトナムでは1社で長続きせず、

地位や給与アップと、能力獲得の機会を求めて、大抵次々に転職していく。

だから誰もが優秀と認める人は、少し採用するかどうかよく考えた方がいい』。ということであった。

 

結果的にこのときも1番優秀な人は、当社に合わないということで、お断りした。基本は、

まじめであること。素直であること。

 

ただし、マネージャー職以上での募集の場合は、これに加えて、過去の実績や、やはり

自分の意見をしっかり持っていること。論理的であることが求められる。

さらに目上の人を重視する文化があるので、ある程度の年齢であることも重要だ。

 

いずれにせよ、日本と異なり、ベトナムでは転職が多い。ある程度育ってから抜けられると

やはりきつい。だから、当社は所属する組織と共に育っていくという考え方に合う人物を主に

採用していた。

 

その結果かどうかわからないが、当社のベトナム人転職率は、平均転職率よりも低い

傾向にあった。もちろんこれは、企業によって考え方が異なるので、各企業が考えていく

べき課題と思われる。

 

98.海外でリーダーシップを発揮して働くために

問題は、非定型の業務である。これに関しては様々な判断要素を含むので、

ベトナム人課長には、『最初は面倒だが、私に相談してください。ただし、他の

ベトナム人スタッフがいないところで』としておいた。

 

これは、結局彼が私と相談して決めると、他のベトナム人がやっぱり私が決めていると

取られるからである。その結果、大体相談は、就業時間を終えてからとなった。

 

これは自分でも勉強になったが、あらためてベトナム人の優秀さを知ることにもなった。

最初の内は、彼が相談案件を持ってきて議論すると、私は『なぜこのような判断をしたのですか?

その理由は?理由がうまく述べられなくてもいいから、とにかくあなたがそのように判断した

根拠を教えてください』。このやりとりが続いた。

 

でも彼はうまく答えられず、私から『私なら、まずこういう仮説を3つぐらい立てる。

そしてその仮説の裏づけとなるこのようなことを調べて、もしこういう結論が出たら、

仮説1と判断する等。』

 

『仮説がうまく作れないなら、スタッフに聞く。これ以外の仮説の考え方があるか等。

なにもひとりでかっこよく決める必要はない。リーダーとしてみんなの力を引き出せばいいのだから』

と伝えた。

 

最初は私に返されて再度、調べるということが何ヶ月か続いた。しかし、3,4ヶ月ぐらい経った後、

彼は私の質問にスラスラ答えるようになった。それだけでなく、私の想定外のことも考えるようになっていた。やはり現地ベトナム人の方が思考方法を体得すれば、現場を深く知っている分、

深みのある考えを導いてくる。

 

この段階にいたって、私は彼には、非定型でもある程度連続性や、再現性のある問題は任せられる。

と判断し、ベトナム人スタッフに伝える前に私にそっと教えてくださいと伝えるだけとなった。

 

もちろんこの後、彼の判断に大きな問題は無かったし、彼も課長として他のベトナム人スタッフに

認められてきたようだった。

この彼とのコミュニケーションは、一切 通訳を入れなかったので(通訳を介すると意味が無い)

かなり、時間のかかる、骨の折れる打ち合わせとなった。

 

しかし、これを通じて、彼とのコミュニケーションはほとんど阿吽の呼吸に近くなった。

私の方がはるかに英語は下手なのだが、彼は私が2,3語話し始めると、すぐに私の思考を

理解するようになった。まあ私がワンパターンな思考であることも一因であるが(笑い)、

やはり彼が優秀だったのだろう。

97.海外でリーダーシップを発揮して働くために

いろいろ彼らに本音を聞いてみると、基本的に上司の意見に逆らえないということであった。

私は、意外と日本企業の方が上に意見自体は言える。逆に外資系(1部を除く)の方が、

外資系に勤めている友人の話も総合すると、上司に絶対服従という印象を持った。

いずれにせよ、なかなかうまく委譲が進まず、少々悩んでいた。

 

この時期に、当社日本本社からベトナムに元上司が出張に来てくれた。

私は元上司とベトナムで夕食を取りながら、『どうしたら少しでも現地の課長に権限を委譲して、

人に育ってもらうことができるのでしょうか?』。彼の回答はシンプルだった。

 

『お前は本当に権限委譲しているか?任せきっているか?なんだかんだいって

あなたがでしゃばっていないか?』。図星だった。

 

しかし私は言い訳も含めて『ただ、最終の売上責任は私にあるので、どうしてもその

あたりが不安です』。彼は言った『任せて業績が落ちたら、それは当然あなたの責任だ。

でも、人に権限を委譲して育てるということはそれも含めて、責任を持つということだ。

その心構えが無いなら、権限を委譲して人に育ってもらうことなど絶対できない。

任せて失敗したら、そのカバーを上司であるあなたが行う。そういうことだ』。

 

私は、彼に言われて、自分の心構えが甘すぎた。と反省した。

確かに、様々な本にはそのように書いてあったなと思い出したが、やはり実践すると

なるとなかなかそうはうまくいかない。

 

元上司にアドバイスされた次の日から、私は、日常起こりそうな課題と、非定型な課題

とに分けて。日常課題のうち判断基準を決められるところは、それをベトナム人課長と

話し合って決めた。

 

販売経費に響くところは、その進捗が見えるようにした。その上で思い切って、決裁権を

彼に渡した。経費に響くところは見えるようになった上、判断基準を双方合意で決めたので

、取り返しのつかない失敗は無いだろうという判断だった。

96.海外でリーダーシップを発揮して働くために

第6章:ベトナム人スタッフの育成

1)課長に成長してもらう

業績は、市況の好調も追い風となり順調に進んでいる。

企業は人が動かしているので、人の育成が最も重要な課題だ。

 

何度も述べてきたように、現地で作って、現地で商売する以上、いくら赴任する

日本人に能力があっても、所詮日本人である。現地語を使いこなすには程遠いし、

その国の文化を深く理解すること、もっと言えばDNAに刷り込まれた感覚などは

遠く現地ベトナム人には及ばない。また、いつかはベトナムを離れるのである。

 

そう考えると、今いるベトナム人スタッフが、中心であるべきだし、彼らの能力が上がり、

自発的にやりがいをもって動くようになると、今後も会社は発展していくだろう。

そのために、お世辞にも能力のそれほど高くない私ではあったが、私の身につけているものは、

戦略、戦術、実行にいたるまで、できるだけ彼らとコミュニケーションを行い、

少しでも伝えてきたつもりである。

 

私は、赴任してすでに4年が過ぎていたので、彼らが判断して進める仕事の領域を拡大し、

その中で彼らが育っていってもらうとともに、やりがいを持っていただくことが最後の

私の仕事と考えた。

 

そして、ベトナム人の課長を育成し、彼の決裁権をなるべく拡大し、ベトナム人を名実

共に中心に持っていくように勤めようと思った。

 

まず手始めに、私が座っていた所長席(全営業マンを見渡せる中心にある)を彼にゆずり、

私は目立たない席へ引っ込んだ。これに関して、ハノイの社長は、ちょっと早いのではないか?

と心配したが最終的に任せてくれた。まずは権限を委譲する場合は、形も大事なのである。

 

ただ、その後なかなか委譲は、正直言って難しかった。どうしても不安になるとつい、

こちらが決定に口を挟んでしまう。こちらが口を挟むと当然、彼らは私の意見になびいてしまう。

私は、『私など所詮 日本人だからマーケットの奥深くなんて絶対に理解していない。あなたがた

ベトナム人のほうがマーケットで起こっている事実を深く知っているはず。私の意見など間違っていれば、

否定すればいいのですよ。

 

上司も人間だから絶対に間違いはある。目的はこのホーチミンのチームとして成果が

上がることが目的なので、そのための建設的な意見を言うことに上下関係は無い』と何度も言ったが、

なかなか上司に意見する土壌を作ることは難しかった。

95.海外でリーダーシップを発揮して働くために

―コラム(ピストル事件、かばん強奪事件)―

ベトナムという異国の地で生活していると、いろいろ想像外のことが起こる。

そのひとつがピストル事件だ。これは事務所にピストルが打ち込まれ、その弾が

事務所内に転がっていたというものだった。私が赴任した翌年2008年の旧正月

休み明けに起こったことである。

 

私はいつものように、事務所に出社した。旧正月休みは当社では2週間ほどの

大型連休である。この休みに入る前は、しっかり戸締りをしてから休むので、

休暇明けはまずこの戸締りをすべて開放することからはじまる。

 

私は、自分の席について、業務を始めようかと思ったときに、戸締り開放をしていた

あるスタッフから『所長、2階にピストルの弾が落ちています』と叫び声が入った。

私は日本で平和ボケしていたので、そんなバカなと取り合わなかったが、しばらく

たってから2階に上がった。

 

すると、本当にピストルの弾が落ちていた。それは2階の窓を下から入り、天井に

当たって跳ね返り、ホワイトボードを突き抜けて下に落ちていた。おそるべき威力である。

当然 地元の警察署とハノイ本社、日本の本社に報告はしたが、地元の警察も旧正月

あけで、気合が入っていない。

 

そういえば警察官の顔も多少赤かったような気がした。酒でも飲んでいたかもしれない。

その警察官は、『あなたは日本人か?(当然 ベトナム語)』。私『そうです。』。

『あなたが日ごろ悪いことをしていないなら大丈夫だ』などと訳のわからない忠告で終わりであった。

 

ハノイ本社も、日本の本社も対策などあるわけは無く、気をつけてくださいというそっけない

返事であった。

 

私は、ここは日本ではない。自分の身は自分で守る必要があると少し気を引き締めたものだ。

特にこの後3ヶ月間は、背後に注意するようにした。実は思い当たる節があり、長年勤めてくれた

ベトナム人スタッフに旧正月前に、ある理由で辞めてもらった経緯がある。

 

あとから、他の日本人同僚に聞くと、その人が現地マフィアに依頼して、威嚇射撃を

行ったのではないか?ということであった。殺すつもりまでないので、絶対に人がいない

旧正月に行ったのであろう。という推測であった。

 

実は、マフィアにこういうことを依頼するのはベトナムでは結構あるようだ。後日、

ある販売店さんの夫婦が離婚になったときに、元奥さんの方がマフィアを雇って、

元夫を撃たせたという事件があった。幸い急所を外れたので、大事には至らなかったようだが、

恐ろしいことだと改めて思った。

 

また、もう1つは、かばん強奪事件である。これも旧正月直前に、ハノイ本社への出張

直前に起こった。私はたまたまホーチミンの空港へ行くために、事務所の外でタクシーを待っていた。

 

そのときは荷物が多く、両手に荷物を持っていた。タクシーが目の前に来て、まさに乗ろうと

したとき、一方通行の逆から(私の背後から)来た2人乗りのバイクが私のかばんを強奪して、

走り去った。幸いパソコンなどは入っていなかったが、まあまあのお金とパスポート、カード、

運転免許証などが入っており、これには往生した。

 

即、現地の警察に行き、事情聴取(といっても当然 ベトナム語なのでスタッフに

ヘルプしてもらうことになる)、日本の領事館でパスポート差し止め。

カードの凍結などいろいろと手間がかかった。

 

ベトナム人スタッフは、旧正月前はとくにこういうことがよく起こる。同じベトナム人として、

はずかしいすいません。などといってくれた。まあ日本でも殺人や強奪事件はあるので、

別段ベトナムが特別ということではない。

 

いずれにせよ、海外生活に慣れてきたころが油断も生じ危ないので、よく気をつけなければ

ならないと身を引き締める思いであった。

 

全体的に見て、ベトナムは安全で過ごしやすい国であることは事実と思う。また心優しい人も

多い。ただ、私のように油断するとこういうことも起こるということである。まあこれも経験のうちだ。