100.海外でリーダーシップを発揮して働くために
最終章:別れのとき
会社の転勤辞令はいつも突然だが、このときもその日は突然やってきた。
2012年4月本社から日本へ戻ってくるようにと連絡があった。
2007年にベトナムに赴任して、足掛け5年が経っていた。赴任当初はどうなるかと
思ったものだが、今はベトナムを第2の故郷と感じている自分がなんとなくおかしかった。
最後の2週間は、ベトナム人のお客さんとのお別れ会、社員が催してくれたお別れ会
などが続き、再びアルコール漬けとなった。ただ、このアルコール漬けは赴任当初のような
つらさはなく、むしろ心地よかった。振り返ると5年などあっという間である。
在任期間中の2007年~2012年はGDP成長は右肩上がりというわけではなかった
担当時に売上拡大できた結果は上図である。
もちろん、関係者各位のおかげであり、何よりも現地ベトナム人スタッフのおかげである。
日本へ帰国する日、空港には当社のホーチミンスタッフが大勢来てくれた。5年前、私の前所長のときと同じ風景である。前所長は、最後は感極まって泣いていたが、私はなぜか泣かなかった。(深夜便と昼便という違いも影響しているかもしれない)
社員は、ベトナム特有の伝統の編み笠帽子に各々寄せ書きをしてくれた。そして、たくさんの思い出に残る写真を撮ってくれた。
私は、彼らのおかげでなんとかこのベトナムでがんばって業務を全うすることができた。
でも、私は彼らにどれだけのものを残せてあげたのか?私は決して、完璧な上司では
なかったと思う。
誤った判断も多かったであろうし、現地語がわからないゆえに、まだまだ私の知らない影の
部分も多くあることであろう。
いずれにせよ、今後、彼らは彼らの人生を歩むことになる。私はもう彼らとは2度と会えないかもしれない。
彼らには、元気で、健康で、幸せにすごしていってほしいと心から思う。
空港前は、ベトナム特有の湿気と暑い空気、騒々しさが渦巻いている。この雰囲気も見納めだなと
思いつつ、彼らと最後の別れを告げ、ホーチミン タンソンニャット空港の中に入った。
私は日本へ戻り、彼らはまたベトナムの世界に戻っていく。私は言いようのない寂寥感におそわれつつ、
日本人に戻る努力を必死でしていた。