shyumahaのブログ

海外でリーダーシップを発揮して働くために、私が海外勤務経験から得た体験記を記しています。

17.海外でリーダーシップを発揮して働くために

3)1ヶ月の引継ぎ期間

引継ぎ期間は、1ヶ月間。内容は、北部方面への1週間の出張。南部方面への

1週間の出張。ホーチミン市内の客様訪問。最後にハノイの本社会議へ出張。

というスケジュールであった。いきなりの出張である。

 

前述したようにベトナムは、当時電車も無ければ、高速道路も無い。つまり、出張は

全部会社の車で行くことになる。1日ずつ各市のお客様へ訪問し、宿泊しホーチミン

まで戻ってくるようだ。

 

最初の北部への出張は日曜日から始まった。マンションは朝7時に出発。途中で

北部担当の当社のベトナム人営業スタッフを乗せて、まずダラット市へ行き、

ボンメトート市、クイニョン市、ニャチャン市、ファンティエット市、ブンタウ市と回って

ホーチミン市まで帰ってくる。

 

車中で所長はベトナムの地図をくれた。回るルートが図示されている。朝早いので、

1時間ほど走ったところで朝食タイムとなった。当然ローカル店だ。ここでPhoフォー

という名の麺を注文する。飲み物はつめたいコーヒー(カフェダーと発音する)。

あまりきれいとはいえない店だし、箸もお皿もお世辞にもきれいとはいえないが、

備え付けのティッシュでふき取って食する。コーヒーも氷が入っているがもう気にしない。

 

私は所長となったので、徹底的にベトナム人の文化に入っていかなくてはならない。

特に当社は、ベトナムの工場で製造した製品を90%以上ベトナムのお客様に販売

しているので、ベトナム人と同じことがある程度できなければ、お客様とお付き合いが

できない。

 

ちなみにベトナムでコーヒーを注文する際に注意しなくてはならないことがある。

普通にコーヒーをローカル店で注文すると、とんでもなく甘い。なにせコンデンスミルク

がなみなみと入っているのだ。これだけコンデンスミルクを入れられると、もはやコーヒー

ではない。

 

加えて毎日飲んでいると確実に糖尿病になる可能性がある。そこで冷たいコーヒー砂糖

抜きの場合は、(カフェダーコンドゥン)と依頼することになる。赴任期間中、カフェに入ると

私はもっぱらこれを依頼していた。

 

朝食後車に乗り込む。ダラットに向けて出発だ。予定では、4-5時間かかるので、着くのは

昼過ぎ。あまり舗装されていない道も多くガタガタ揺られながら、車は進んでいく。

日本で営業をしていた人が、こういう交通手段の無い新興国へ来てまず面食らうのが、

出張営業効率の悪さである。なにせ、移動している時間が何時間もかかるので、とんでもなく

非効率と感じる。

 

しかし、移動するにはこれしか無いのだ。しばらくは、ベトナムの現在のやり方に身をおいて

みて、一通り経験した後 改善できるところは改善していくということになるだろう。そう考えな

がら、うとうとしていた。昼過ぎにダラット市についた。ベトナムでは避暑地といわれており、

朝、晩は結構涼しい。また野菜の名産地でもある。

 

確かに昼食で食べた野菜は結構おいしかった。昼食後13時過ぎとなったが、日本と違い

ベトナムは昼寝の習慣があるので、お客様を訪問できない。そこで14時までコーヒーを飲んで

すごす。日本の営業のように、昼食を車の中でほおばりながら、次の顧客先へ向かう姿とは

程遠い。

 

14時になったところで、お客様を訪問し始める。訪問先は、販売店である。我々の商品は、

所長から聞くところによると当社→代理店→販売店→エンドユーザーという形態になっており、

売店最終消費者との接点になる。だからここに訪問をかけ、当社商品の扱いをプッシュ

していくとのことである。

 

まだベトナムは、大型販売店という形態が主要ではなく、ほとんどが個人で経営している

売店である。こういう当社に関連する商品をあつかう販売店が、ベトナム全国で6,000店

ほどある。こういうところで、特に有力な先をしらみつぶしに営業をかけていくのである。

『どこが有力な店で、どれぐらい買っていただいているかというデータはある』?という私の

質問に、スタッフは『ある』との回答。ということは有力な店は、それに基づいて決めている

ということか。と思いつつ、次から次へと店を訪問する。

 

店での会話は、1.所長が英語でしゃべって、それを当社スタッフがベトナム語に訳して

伝える。お客様からベトナム語で返ってくるので、それを当社スタッフが英語に訳して、

所長に伝える。2.当社スタッフがベトナム語でやりとりして、要点を英語で所長へ伝える。

3.代理店もふくめて同行の場合は、代理店のスタッフもベトナム語でやりとりし、その要点を

当社スタッフが英語で所長へ伝える。この3つが混合しながら、コミュニケーションが進むこと

になる。

 

こわいのは、こっちが伝えたいことがしっかり顧客に伝わっているか?ということと、お客様が

伝えたいことが、こちらにしっかり伝わっているか?ということである。通訳は、その当時

女性だったので、こんな長期間の出張には連れて行けない。何とか自分でやりくりするほか無い。

言うまでもないことだが、彼らの言語はベトナム語であり、英語はあくまでも第2外国語だ。

だから、できるならばベトナム語習得がベスト。しかしそれはまあ難しい。となれば、最低限

の英語能力をつけ、日ごろから当社スタッフとのコミュニケーションを密にし、こちらの考えを

伝えておき、お互いが多少間違った文法の英語を使おうが、大体要旨はわかるというレベル

にしておく必要がある。そう痛切に感じた。

 

こういう販売店訪問をどんどんしていき、夕方近くにその日の宿泊ホテルを探す。日本のように

インターネットで事前予約などというものは無い。大体宿泊ホテルは、ローカルホテルだ。

まあまあきれいなところもあれば、かび臭くて汚いところもある。ゴキブリはいたるところに

転がっているし、時々ネズミも走る。潔癖症の人では耐えられないだろう。これも致し方ない。

乗り越えるしかない。所長だけ特別に5スターホテルを要求することなどありえないのだ。

 

夜は、この昼間に訪問した有力販売店の方を招いて、共に夕食をとる。もちろんこちらの経費だ。

しかしこれがまた最初はつらい。19時ごろから小売店さんとの夕食会が始まるが、当然ベトナム語

で何をしゃべっているか全くわからない。当社スタッフもさすがに夕食になると、アルコールも入るので、

お客様とのやり取りをあまり英語に要約して話してくれない。加えて、例のベトナム飲みの文化 

モッツ、ハイ、バー、ヨーで一気飲みを強要される。

 

日本人は、言葉がわからないからといって、ムスッとしていられない。相手はお客様だ。

言葉がわからないから会話にはなかなか加われないが、最低でも楽しそうにして、

モッツ、ハイ、バー、ヨーに参加して場を盛り上げないといけない。これは結構きつい。

また飲み会も1次会ではなかなか解放してくれない。2次会にも行き、最終は深夜12時過ぎ

に屋台(衛生的にはすごく怪しいが、うまい!)で、ベトナム仕様の麺やおかゆを食べて終了

することになる。

今後 私は日本人一人でこういうことをしていかなくてはならないということだ。これが1週間

出張の間つづく。

こういった出張を1週間ずつ北部、南部と終えた。慣れない土地で、緊張しており(自覚は

なかったが)、また非常にむし暑い気候で体が順応していなかったせいもあり、よく微熱がでて、

体がきつかったのを覚えている。まさに駐在員は体力勝負。だからある程度若い方がいい。

 

再びホーチミン市内に戻ってくる。ここでもお客様の引継ぎを行う。もうすでに出張を含めると

たくさんのベトナム人のお客様に会っており、名刺も数え切れないほどたまった。

しかしながら、全く覚えられない。所長は、最初は覚えられない。だから感覚をつかむだけで

いいといってくれた。この間も引継ぎでアルコール漬け地獄は続く。

 

いよいよ引継ぎ最後の週が来た。この週は、毎月開催される幹部ミーティング出席のため、

当社ベトナム会社の本社および工場があるハノイへ出張だ。ハノイホーチミンから飛行機で

約1時間半。距離にして1,500Kmぐらい。つまり北海道から九州ぐらいか。そう結構離れている

のである。このため会議の1日前にハノイへ入る。

 

ちなみにホーチミンは年中30度前後の常夏だが、ハノイは冬がある。1月、2月頃は7度ぐらい

まで気温が下がるときがある。私が赴任した次の年の2008年の1月、2月はそうだった。

ハノイは、ベトナムの首都ではあるが、人口は当時500万にくらいと言われており、ホーチミン

比べると派手さがなく、ああこれが社会主義国ベトナムという印象を受けた。

 

しかし、ホーチミンに比べると比較的落ち着いた町並みでこちらの方が好きだという日本人

も多かった。ちなみに同じベトナム語でも、ハノイホーチミンは発音が少し異なる。

月1回3ヶ月ぐらいハノイホーチミンを往復していると、その違いがわかってくる。

 

当社のハノイ本社は、工場があるので当社日本人駐在員も多い。当時は社長も入れて

全部で6人ぐらいだったかと思う。久しぶりに日本語で話す時間が多く確保でき、ほっと

一息ついた。ただし、後日詳述するが、この日本人のみで固まるということは居心地がいいが、

海外で働くにはおおきな障害となる。

 

あけて翌日、毎月の幹部ミーティングは、社長を筆頭に開発、生産、販売の代表者が常任

メンバーで、ベトナム人シニアスタッフも加わる。要するに、現状の報告、今後の課題、

進め方の方針決定会議である。朝から夕方までかかる。結構 密度の濃い会議で決断が

難しいところは、社長がどんどん決めていく。

 

このような形だと、間違った判断をすればモロに業績に響くので、(ただし修正も早いが)

社長以下幹部が必死で社長が判断を誤らないような情報や意見を言い合うようになる。

いい傾向だ。そして議論を尽くしたあと、最終的には社長の決定で一丸となって進むことになる。

 

日本の肥大した組織では、このようにテンポよく決断することはできない。Bossが重複している上、

部署がそれぞれの部分最適で動きがちだからである。リスクをとりながらもスムーズに動ける

このようなスモールビジネスユニットの醍醐味を赴任期間中ずっと味わうことになる。

 

充実した会議を終えて、この後 ホーチミンへ飛行機でもどるために、ハノイの空港へ向かう。

少し時間があるのでハノイ空港でカフェに現所長と立ち寄る。現所長もベトナムの仕事は

これで終了だ。あとはホーチミンに戻り、日本へ帰国するのみとなる。現所長の赴任期間は、

2002年10月から2007年4月の4年半だったことになるが、彼も言葉には表していないものの、

たくさんの思い出を抱えていることだろう。

 

ちなみにベトナム航空は、その当時よく遅れた。このときも、1時間半ぐらい出発が遅れたので、

空港のカフェに長時間とどまることになった。現所長は、「不思議とあまりまだ感傷的なきもちに

ならないなあ」と言っていた。